〜F-111 AADBARK〜


F-111アードバーク EF-111レイブン

F-111アードバークは、本来空海軍統合マルチロールファイターとして設計されましたが、空海軍互いの要求から機体はどんどん肥大化、ついには海軍が計画から離脱。「間違って作られた」と揶揄されるF-111は空軍のみが採用しました。

「戦闘機」とは言っても、翼面荷重が非常に高く大柄な機体であり、当時の時代の流れは目視外戦闘によるミサイル万能主義からドッグファイトに勝ち得る能力も必要であるという流れが主流となっていました。そのため機動性に著しく欠け、失格の烙印を押されたF-111はもっぱら爆撃機として運用されました。

しかし、「駄作」とまで言われたF-111は爆撃機として極めて高い評価を受けることになります。
その中でも伝説的であるのが1986年に行われたリビア空爆、エルドラド・キャニオン(黄金郷)作戦では、イギリスのレイクンヒース空軍基地から発進、ヨーロッパの最西端イベリア半島を大きく迂回してジブラルタル海峡を通過、そして地中海に入り、リビアのトリポリ飛行場を低空から奇襲を行い、低空爆撃用で、高抗力爆弾Mk-82AIRを投下して、同じ経路を戻ると言う一万キロ超の空爆を成功させました。仮にも戦術戦闘機に分類される機がこのようなミッションを行った事は過去に例がありませんでした。


5年後、すでに全てのF-111は退役が間近であり、後継機としてF-15Eがすでに採用された後の湾岸戦争では、「今さら旧式機であるF-111は大した戦果を上げることはできないであろう」と思われながらも、F-111はその爆撃機としてのポテンシャルを最高に発揮しました。
当時、F-15E以外で唯一夜間に空爆を実施できる戦闘機であったため、夜間の戦略目標空爆および地上部隊への攻撃に極めて高い戦果を挙げたのです。
湾岸戦争中、最も多くの誘導爆弾を投下し、最も多くの目標を破壊し、最も高い命中精度を誇ったのは紛れもなくF-111アードバークだったのです。ある空軍将官の言葉を借りれば「破壊したいものがある?それはF-111に任せろ。」「F-16やF/A-18を飛ばすべきではない。砂塵が舞いF-111の攻撃に支障を来たす」とまで言わしめました。

湾岸戦争で予想外な戦果をあげたF-111は多くの空軍将校により再評価され「F-111を退役させるべきでは無い」という風潮が湧き上がり、F-111を即急にF-15Eに機種変更させたい派閥を大いに困らせました。
しかし時代は冷戦が終結し、急激に変化してゆくこととなります。F-16の3倍という極めて高い維持費が高くつくコストパフォーマンスの悪さ、整備性の低さは、強大な脅威の消えてしまったアメリカ軍にとって容認できないものとなり、一度は2010年程度まで運用する決定が下されたものの、結局1996年にF-111は全機が退役しました。





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