〜生誕〜

F-111アードバーグ戦闘爆撃機に代替する戦闘機の開発、複合任務戦闘機計画「DRFプロジェクト」(発足時点では強化型戦術戦闘機「ETF」と呼ばれていた)が発足。ジェネラルダイナミクスはF-16をクランクドアローデルタ翼に換装、大幅に兵装および燃料搭載を実現した大幅に改装したF-16E案を提出、マクダネルダグラス自社研究機F-15B/Dを改装したF-15E案と比較評価されました。

F-15Eの原型はマクダネルダグラスにより行われた自社研究によるTF-15(F-15B試作12号機 入間においてでF-14とFXコンペテンションを実施)戦闘攻撃機型に端を発します。自社研究とはいえ、空軍からの示唆があったとされ、F-15試作12号機が改装を受けました。ただし、この機はF-15に爆装を施したのみであり、大規模な改修はうけていません。

結果は兵装搭載量、将来の拡張性、及び生産コストの総額(F-16Eと同等であったとの説もある)が決め手となりF-15Eの採用が決定されました。

F-16E(不採用決定後NASAで試験飛行中のもの) TF-15B(F-15Bプロトタイプ12号機)濃緑色が特徴。

採用決定後、1982年よりエドワーズ空軍基地、クェゼリン空軍基地でレーダーなどを使用する精密爆撃が実際に実演され、本格的にストライクイーグルのテストが開始されました。

同年暮れよりF-15Bカスタム、F-15Dより改装されたストライクイーグルのプロトタイプによる搭載武装改善のテストが開始。最初に行なわれたのはコンフォーマルタンク3個と500ポンド(227Kg)Mk-82通常爆弾を8発を装備し、通常のF-15Cの離陸重量よりも約3t重い状態で飛行に成功。以降は各種兵器の搭載試験が続けられます。
2000ポンド(907Kg)Mk-84通常爆弾、クラスター爆弾、誘導爆弾、ペイブウェイレーザー誘導爆弾、マーヴェリック等、計数十種にもなります。

そして1984年に量産型のF-15Eが生産開始されました。

F-15Eの機体は再設計され内部構造の実に60%以上が改良を受けており、低空飛行と攻撃を主任務とする重重量爆装に耐えうるべき強化が行われ、最大離陸重量は6000Kgも増強され、さらにはバードストライクのためのキャノピー強化と、また、被弾時の損害軽減能力も飛躍的に向上しました。そして保証された生涯飛行時間は16000時間にも達し、仮に年300時間運用されると仮定すれば50年間にわたり運用が可能となります。F-15Eは従来のF-15と見かけこそ同一機種でありますが、目に見えない内部はもはや別の機であり、「F-15にしてF-15に非ず。」という言葉がこの機体の素晴らしい性能向上をあらわしていると言えます。

1986年12月にF-15E初号機が初飛行を行ない1988年4月にアリゾナ州のルーク空軍基地への初納入され、1989年12月29日にノースカロライナ州のシーモアジョンソン空軍基地の第4戦闘航空団への初のF-15E飛行隊の結成が行われ初期作戦能力(IOC)を獲得しました。
そして、この新型のF-15Eストライクイーグルは1年と半月後に湾岸戦争でデビューすることになります。

なお、「STRIKE EAGLE」と言う愛称は空軍の正式なものでは無く、「F-15E EAGLE」が正式な名称であります。しかし、空軍の公式な場でも「STRIKE EAGLE」と呼ばれており、世界的に定着しているのであえて分別する必要は無いでしょう。




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